卒論無事終了

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本当に無事なのかどうかは分からないけどwとりあえず終わった。

書いたプログラムのソースを見てゲノムに似ていると思った。
ジャンクDNAの存在が特に。
「潜在的に有利な新しい遺伝子として発現しうる配列の貯蔵庫」「進化の過程で断片化・破棄」とかね。

しかし、終わったのは良かったもののあまり満足のいく出来栄えではないorz
もっとちゃんとやっておけば良かった。
とは言え、これからさらに頑張るほどの気力は無いので、こんなこと言っても単なる戯言でしかないけど。

とりあえず、この1年……というか10ヶ月を通じて自分がいかなる人間なのかがよく分かった。
#以下、くだらん自己分析が続くと思われるので自由に読み飛ばして下さい
まあ、一言でしまえば「駄目人間」ということになるんだろう。
そして、駄目ポイントは「準備を怠る」こと。
原因は「危機感の不足」かな。
そしてその背景にあるのは「甘え」ってとこか。
でも、昔は神経質なほど万全な準備を行なっていたのになぜ変わってしまったのか。
……それは、思っていたよりいい加減な世の中に気付いて、それを侮るようになったから、かな。
いや、社会のせいにするような痛い子になるつもりはない。
社会がどう見えるかは自分の姿に(100%ではないにしろ)依存していると思うし。
ということは、そういった意味で「思っていたよりいい加減な世の中に気付いて」ってのは本質的な理由ではないわけだ。
より正確には「いい加減に生きることもできるし、そうしたほうが(少なくとも一時的には)楽」なことに気付き、それを実行してしまったというわけか。
いや、でもそれは今になって気付いたことじゃないな。
自分内部における「現在の苦労+将来の果実」と「刹那的快楽+将来の苦労」との価値が逆転したことが原因だ。
そうか、俺はいつの間にか自分の価値観が変化していたことに気付かず、今までの価値観との矛盾に苦しんでいたのか。
いやまあ、価値観は変わらずに価値が逆転したのかもしれんけど。
あるいは、既に「将来」に至ったと無意識に判断して配当を享受しようとしていたのかもしれない。
そして、それは自分が最近考えていたことにも繋がってくる。

自分はどちらかというと殊更に若さを賛美することには否定的です。
しかしながら、例えば味覚を例にとってみると今の自分位の年齢が味覚の鋭さのピークらしく、それ以降は衰えていくだけらしい。
つまり、40・50になってから高い金出して「おいしいもの」を食べるより、今の時期に少しばかり贅沢したほうが文字通り「おいしい思い」ができるという訳。
まあ、実際の話はここまで単純ではないし、 それにまた、いろいろ頑張ればスポーツ選手なんかのように40歳過ぎになってもそこらの若者に負けないぐらいのパフォーマンスは発揮できるだろう、たぶん。
最終的にはバランスが大事、って話に収斂するのかな。
そして、そのバランスの具合に悩んでいるうちに歳を重ねる、と。

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