対決

        作:雲流 雪



――HM開発課第七研究開発室にて


「長瀬主任。マルチに新たな感情が芽生えたようです」

「ほう。それは興味深い。一体どんな……?」

「『悔しさ』です」

「ふむ。原因は?」

「昨日の放課後のことが原因だと思われます」

「なるほど。……明日までにマルチにセリオ用の衛星データを入れてみる。手伝ってもらえんかな?」

「そ、そんな。……不可能です」

「なに、データをマルチ用にカスタマイズすれば、
後はマルチの学習機能が勝手に最適化してくれるだろう。
心配要らんよ」

「で、ですが……」

「では、始めようか」

「あ、しゅ、主任……!」






――次の日の放課後


 掃除当番でもなければ、部活に入っているわけでもなし、
また、今のところは補習を受ける必要のない彼に、放課後、学校にいる必要はなかった。

 にもかかわらず、彼がここ、一年生の教室が並ぶ廊下にいるのは、なぜか?
 しかも、彼は二年生である。

 ……その“理由”が教室から出てきた。

「あっ! 浩之さん……」

「よう、マルチ。あれ? 今から帰るのか?」

 今日はいつものモップの代わりにカバンをもっている。
 いつもなら、これから掃除を始めるところなんだが。

「はい。それで、その、あの……。えっと、浩之さんにお願いがあるんですぅ」

 マルチがお願いするなんて、珍しいな。
 いつもなら必死になって手を煩わせないようにするのに……。

「おう、なんでも言ってくれよ」

「はい。えっと、その、これを……」

 そういっておずおずと手を伸ばす。
 その手の先には……

「手紙か?」

「はいっ」

 受けとって、見てみると……

 ……読めん。
 これは、なんだ?
 壁画に書かれた謎の文字に挑む若き天才考古学者にでもなった気分だ。
 ……誰もツッコミをいれてくれないとこでボケても空しいだけだな。
 真面目に考えよう。

 ……ひらがな、だよな、一応。
 えっと……。

 …………。

(聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥)

 それだ。ナイス、俺。
 いや~、レミィの諺講座も案外、身になってるもんだ。

「マルチ、これ、なんて書いてあるんだ?」

「え? 浩之さん、ひらがな読めないんですかぁ?
日本の識字率は、ほぼ100%のはずですぅ……」

 なんだ、その目は? 犬と対等に話すマルチが俺を憐れむ目で……。
 いや、そもそも、自分のスペックすら満足に答えられないマルチがなぜ、日本の識字率を……。

「俺だってひらがなくらい読めるぞ。ただ……これは字じゃないだろ」

「えぇ? あ、はい、わかりました~。その手紙は朝、書いたのでまだ最適化が……」

 最適化? それをしないと、ひらがなも満足に書けないのか?
 その前に手紙を書く必要はあったのか?

「で、なにが書いてあるんだ?」

「は、はい。できれば、今日、エアホッケーの再対決を……」

 エアホッケー? そういや、昨日やったな。
 ……俺の圧勝だったが。
 つまり、この手紙は決闘状だったってわけか。
 判ってしまえば、そう読めなくもないが……。

「おう、いいぜ。んじゃ、さっそく、行くか……」

「よろしいんですかぁ?」

「ああ、他ならぬマルチの頼みだからな」

「はいっ、ありがとうございます。この御恩は決して忘れません。
 いつか生まれてくる妹たちにも受け継がさせて戴きます」

「……そ、そうか」

 ……そんな“御恩”を受け継いだ妹たちはどう思うんだろう?





「今日はいつもに増してよく転ぶな……」
「昨日、主任さんにいれてもらったデータの最適化がまだ終わってないんですぅ」
「へえ、どんなデータをいれたんだ?」
「内緒ですぅー。でも、すごいんですよー」
「ふーん」
「どんなデータか、聞かないんですか?」
「だって、内緒なんだろ?」
「そうですけど……」
「お、ついたぞ」



 台と向かい合ったマルチが話し掛けてきた。

「ふっふっふ、浩之さん。今の私は昨日までの私と別人です。手加減しないほうがいいですよ」

 ……どんなデータを入れたのか知らんが性格まで変わってるな。

「実は主任さんにセリオさんのエアホッケーのデータをいれてもらったんです。
つまり! 今の私はプロ並みのちからをもっているんです!」

 ぐっと両手を握ったマルチ。
 その目が燃えている。マンガ以外でもこんな目が見れるとは……。
 ……ところで、エアホッケーにプロなんていたか?
 それ以前に、内緒だったんじゃ……。
「それは楽しみだな。んじゃ、いくぞ。……よっと」

 小手調べに軽く打ってみる。

「目標の大きさ、質量、及び軌道計算……終了。迎撃位置、速度、及び力の計算に移ります。
 ……終了。空気の対流、密度のばらつき、各種の音波、電波による誤差の修正に入ります。
 ……完了。……行きます」

 びゅんっ。
 マルチの“両手”が空気を切り裂き、唸らせた。
 だが……

「マルチ、“目標”は既に絶対防衛ラインを越えてるぞ」

「え?」

 マルチの目が大きく見開かれる。
 全然、予想していなかったようだ。

「なかなか、やりますね。浩之さん。しかし、次はこうはいきませんよ。
 私は学習型。今度は、前回の200%の速度で計算が完了します!」

「ま、せいぜい、頑張れよ」

 “両手”で構えたマルチが計算を始める。
 “プロ”は両手で戦うのだろうか……?
「攻撃位置、速度、及び力の計算……完了。行きます!」

 ……攻撃力は気合と反比例しているようだった。

 ぺしっ。

 軽く打ち返してやる。

「迎撃位置、力の計算……完了。行きます!!」

 ぺしっ。

 再び、軽く打ち返してやる。

  「迎撃位置の計算……完了。行きますっ!!」

 へろへろ~、という語がピッタリではないかと思われる物体が滑ってくる。

 ぺしっ。

 三たび、軽く打ち返してやる。

「行きますっ!!! とりゃああああ~~~~~~」

 ……空振り。

「はわわわ、そ、そんな……最適化は完全に終了したはず……」

「最適化って、作業工程を省略することなのか?」

 さっきから気になっていたことをたずねてみる。

「そう……だったようですね」

 “迎撃”をするたびに計算する内容が減っていたのは気のせいではないようだ。
 最後に至っては昨日のマルチと変わらなかった。


 ……マルチの『悔しさ』が『勝利の喜び』に変わる日は遠いようだった。



後書き

「雫」をやっていて思いついたネタです。
やっと、カタチにすることができました。

だんだん、物書きとしての自分の表現方向(方法ではなく)が決まってきました。
それを可能にする程度の技術(描写力等)を身につけていきたいですね。
いつか書く(予定の)オリジナルに活かせたら、幸いです。

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