「『空気』の研究」山本七平

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まったく、興味深いです。
空気といっても、その成分の75%が窒素で……とかそういった話では勿論ありません。
「場の空気」ってやつです。
分かりやすい例だと、
学級会か何かで立候補者を募る。
暫くしても、誰も手を挙げない。
この時の「空気」です。
一度、この「空気」が醸成されてしまうと、もう、誰も立候補する人間はいなくなります。
延々と時間だけが過ぎてゆく……。
そんな経験したことありませんか?
自分は、小学校中学年くらいから、高校まで毎年経験していたような気がしますが。
まさに、「空気」が人を支配しているわけですな。
まあ、これが学級会だけじゃなくて、戦前の日本軍でも、「今」でもある、という話です。
無論、ある、というだけの話ではなくて、それを研究しているわけですが。
いやはや、まったく、おもしろいです。

つか、この本は三本立てでして、「空気」の後は、「水=通常性」の研究、日本的根本主義について、 に続きます。
当然の如く、この三つは、つながっている、というか切っても切れない関係なわけですが。
「水」というのも「場の空気に水をさす」時に使われる「水」です。
まあ、「水」ってのは、現実です。
これは、本に載ってた例なのですが、
脱サラして独立する夢を見るサラリーマン達。
場の「空気」は盛り上がり、すぐにでも独立できそうな気がしてきます。
ここで、「水」がさされます。
「そうは言っても、先立つものがないとねぇ……」とか何かとか。
これで、人々は現実に戻ってゆく、みたいな。
いや、かなり、端折っているので、これを読んで大した事無い本だとは思わないで下さい。
かなりお薦めな本なので。

最近、「空気を読めよ」という表現がよく使われるような気がします。
よく言えば「空気」に支配されない、悪く言えば「空気」を読めない日本人が増えているのでしょうか。
昭和期以前の人々は、「その場の空気に左右される」ことを「恥」と考える一面があったそうで、 そう考えると、「空気」を読めて且つ「空気」に支配されない日本人が一定数存在することは 日本にとって必要なことでしょう。
しかし、「空気」を読めない日本人というのは、異端であって、“村八分”ではないでしょうか。

この「空気」の概念は井沢元彦氏の「言霊」の概念と併せて考えると非常に興味深いものとなるのでは ないでしょうか。
なぜなら、それは同じく日本人を支配するものであるからです。
ぱっと思いついたところで言うと、「言霊」が「空気」を生む、ってとこでしょうか。
かなり多くの例が見出せると思います。
他にも、いろいろな検証ができそうですが、ここでは割愛します。
といって、どこかで検証する気は、無いとは言い切れませんが、たぶん、ありません。
でも、「空気」によっては、検証する可能性は充分あるかと。(w
H15.3.8
去年の流行語(?)にKY(空気読めない)ってあったけど、その絡みでいろいろ面白い考察ができそう……。
H20.2.28

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